どうしようもなく。


 ただ、どうしようもなく。



 この世界にすがることすら恐ろしく。


 怠惰と妄執にさらされた俺は。


 彼女を待っている。


 すべてを捨て去るつもりで。


 彼女を。


 待って、待って、待って――


 待つ。

 その事実に俺は苦笑いを隠せない。

 女を待つ。


 この俺が。

 だが。


 事実なのだ。


 笑みを凍らせるほどの。


 事実が――


 俺の背後に立った。

 いつの間にか。


 これが待っていた瞬間。


 振り返ることすら惜しく、もどかしいだけの時間の只中。


 彼女の言葉が静かに響く。


「決めたのね?」


 彼女の言葉に静かに震える。


「決めたのね?」


 俺は震える。


 震え、後悔する。


 これは本当に俺が望んだことなのか、と。


 突然目覚めた恐怖の汗が。

 噴出し流れべたつく肌に。


 彼女のなめらかな指が俺の首を這い出し――



 俺はもがく。

 俺は振りほどく。


 俺は走り出す。


 そして。

 すべては妄想で、俺は彼女の腕の中。


 もがくが振りほどけず、まして走り出すこともできず。


 彼女の言葉が静かに響く。

「男と女はなくなり善と悪はなくなり死は生でなく生は死でなく神は消え

悪魔は去り白と黒は混ざり合うがけして灰色にはならずどうしようもなく

ただどうしようもなくお前の欲するものが私の欲するものそして私の欲す

るものがお前の欲するもの」


 彼女の言葉は静かに終り、代わりに。


 代わりに――



 荒らしく差し込まれた牙に焼かれる。

 俺は首を仰け反らせるが、逃れることは叶わず。


 生まれ変わるための儀式は、陵辱に過ぎず。


 深く刺され。


 深く突かれ。


 深く抉られる。

 より、深く。


 俺はまるで女みたいだと思い。


 俺が玩具にした女達みたいだと思い。


 彼女の言葉を思い出し。


 男と女はなくなり善と悪はなくなり死は生でなく生は死でなく神は消え

悪魔は去り白と黒は混ざり合うがけして灰色にはならずどうしようもなく

ただどうしようもなく。


 彼女と俺の鼓動が同調し。


 俺と彼女の呼吸が同調し。


 彼女は俺のすべてを吸い尽くし。


 俺は彼女にすべて吸い尽くされたと思い。


 だが。


 それは違い。


 俺の中心は熱く奮い立ち。


 俺は人間である証しを解き放ち。

 俺は、俺は、俺は――



 目を覚ます。

 彼女に優しく抱きしめられる。

 けだるさを覚えながら、何かが変わったと感じる。


 俺の中の何かが。


 彼女の言葉が静かに響く。


「さあ、来なさい。私の赤ちゃん」


 彼女が俺の手をとり、窓辺に向かう。


 俺は母となった彼女の手を握り締め、新しい世界への期待と不安で混乱

する。


 ふと。


 誰かに呼ばれた気がして振り返る。


 「俺」が俺を見ていた。


 新しい俺は生まれ変わったばかりの笑みを浮かべる。


 そこにいる「俺」は残像でしかないと知っているから。


 ただの。


 捨て去ってしまったものの残像にすぎないのだと――


                                         (終)
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